8回生はすごいなー!!!  8回生学年理事 小林 猛

 コロナ禍にあって、皆様もズームなどのアプリを使用したWEB会議は必須でしょう。しかし、8回生は81歳あるいはそれ以上ですから、仕事ではなく、趣味としてのWEBミーティングを楽しんでいます。

 

 7回生までは、名古屋大学工学部として入試選抜を行い、2年生の時に希望する学科を決めるシステムでした。しかし、1959年の8回生の入試からは、学科毎に入試選抜を行うことになりました。8回生は最初から化学工学を勉強するつもり(?)で入学した初めての化学工学科の学生です。

 

 しかし、高校生にとっては、授業で習っている物理、化学、生物、地学の内容は理解できますが、応用化学と化学工学の違いを理解することは難しかったです。高校の先生でも同様でした。私の場合には、岐阜県高山市の高校で過ごし、山奥の過疎地でしたから、正確な情報は全く無い状況でした。そのために、高校3年生の春に名大新聞の記事を偶然見て、「就職が一番しやすい学科」との記事を読み、化学工学科を第一志望学科に決めました。どの学科を選んでも就職は問題なく決まった時代でしたが、名大新聞の学生が記事を書いていますから、真偽のほどは不明です。

 

 定員は30名で、何人入学したのかは覚えていませんが、1963(昭和38)年3月に26名が卒業しました。学部の講義で最も印象的だったのは、岡村幸雄教授の機械的単位操作の講義です。午後の最後の7、8時限の講義でした。1962年3月で定年退職される岡村教授にとって最後の講義となる年度でした。そのために、少しでも多くのことを学生に教えたい、との気持ちが最も高まった時と推察されますが、講義の終了時刻などは完全に無視されて、延々と講義が続きました。夕刻に家庭教師などのアルバイトがある学生は次第に困ってしまいました。現在の講義でこのような事態が起きるはずはありませんが、当時は何も問題なく、過ぎていきました。やはり、「昔はよかった」ということなのでしょう。

 

 時は流れて、2021年には80歳(昔の呼称では傘寿)またはそれ以上の年齢となりました。同窓生の中にはコンピュータなどは使用したことは無い、という猛者もいますが、やはり、近年の技術進歩の象徴たるコンピュータを使用するWEB会議に興味を持っている同窓生プラス井伊谷研究室の技官だった米田仡氏(新東工業(株)専務取締役)の8人で2021年1月7日から月に一回のペースで「カッコー38ズームの会」を行っています。「カッコー」は「化工」を、38は昭和38年3月の卒業年を象徴したネーミングです。毎回誰かが話題提供し、それを基にして議論し、2時間はあっという間に過ぎてしまいます。「黒板は誰が消すのか」、「我が家の庭の花」、「私の履歴書」、「アスパルテームの静置晶析法工業化技術の開発」、「工場の保安体制の重要さ」、「知財分野での思い出」、「新型コロナウイルス変異株とワクチンの開発動向」などがこれまでの話題テーマでした。そうした議論の中で、8回生は色々の分野で活躍していますね、ということが話題になりました。調べてみますと、瑞宝中授章を四人授章しています。化学工学会の学会賞を二人受賞、大学教授になったのが五人いて、そのうちで大学の学長になった人、工学部長になり化学工学会会長になった人、化学工学会副会長になった人、がいます。また、花王(株)副社長・(株)ノリタケカンパニーリミテド専務取締役・三菱化学(株)常務取締役などの企業の取締役七人、企業の研究所長としての業績で企業研究者としての社会的認識を大いに高めた人、弁理士資格を取得して特許事務所を開設・知的財産権の向上に努めた人、がいます。なお、名大関係者で化学工学会の学会賞をこれまで受賞したのは、神保元二(1989年)、佐田栄三(1990年)、小生(1999年)、架谷昌信(2000年)、入谷英司(2017年)、後藤元信(2020年)の6人の先生だけですが、8回生は二人が含まれています。また、四人も瑞宝中授章を授章したのは非常にまれなことでしょう。

 

 大学の先生方は毎年同じように熱心に授業を行います。そのために、8回生だけが特別に熱心に講義をしてもらった記憶はありません。大学1年生の秋(1959年9月26日)には伊勢湾台風が来て、春学期の期末試験が延期になりました。1960年1月19日に岸信介首相が改定した新安保条約をその後国会で審議し、承認しましたから、東京のみならず名古屋でもデモに参加することが多く、1年生の秋学期の期末試験から大学2年の7月(6月15日には東大生の樺美智子さんが死亡)にかけては騒然としていました。そのために、教育環境は1960年代よりも現在の方がよいと思います。しかし、26名の卒業生でこのような業績を残せたのは、「すごいなー」という表現もできましょう。何が原因でこのように素晴らしい卒業生が誕生したのかを「カッコー38ズームの会」で議論しましたが、よく分かりません。たまたま社会が発展していて時代が良かっただけなのかもしれませんが、この原因をもっときちんと解明し、それを今後の教育に活かすことができるように提案できれば、本望です。