『高橋勝六先生を悼む』    鹿児島大学 二井 晋

 2022年の1月を迎えてなお、高橋先生がご逝去されて1年になるのが信じられません。2020年にいただいた年賀状の、「地球温暖化が進む中、熱中症に対応する夏の衣服について化工の目で考えています。」との熱く力強い言葉に触れ、大いに勇気づけられた直後に、先生の訃報が飛び込んできました。2021年1月11日に高橋勝六先生が心臓の病により突然にこの世を去られました。鹿児島に居る私は、すぐに飛んで行きたくてもコロナ禍で願いはかなわず、信じたくない気持ちを抱えて日々を過ごしてきました。その後ご遺族から、先生が眠っておられ、そのまま永眠されたとお聞きして、先生の苦しみは少なかったのかも知れないと思うのが、せめてもの救いです。

 

 私は学部4年生で、竹内寛先生と高橋勝六先生がおられる化学工学科の第4講座配属となって以来、第4講座の助手として勤務させていただいてからずっと、高橋先生とともに研究と教育に携わってきました。私が鹿児島大に移る際にも背中を押していただきました。思い出は尽きることがありません。先生はガラス細工が大変上手で、「これは僕の遊びなんだよ」、と語りつつ軽々と難しい細工を仕上げておられました。当時の第4講座は少人数で、昼休みには必ず先生と学生全員が「こいこい」をして得点を帳簿につけ、その後はソフトボールの練習に向かうのが習慣でした。今にして思えば夢のような時代でした。

 

 高橋先生は実験装置の組み上げから実験、データ整理法の大部分を自身で確立された後に、学生と一緒に実験しながら手渡すスタイルで研究を進めておられました。現象の観察の重要さ、1点のデータ取りにかける気迫を自ら学生に伝えると同時に、私に「学生を100%信じるのでなく、必ず自分で確認しなさい」と指導者としての心構えを伝えられました。学生とのディスカッションでは、先生の時間無制限一本勝負、という厳しさに、音を上げる学生も後を絶ちませんでした。

 

 先生のお得意なゴルフに関するエピソードを一つ。先生がゴルフを始められた当初、山の上にある大学のゴルフ部練習場での練習によくご一緒しました。先生のドライバーのヘッドには『ゆっくり打ち込む』と白いペンで書かれた文字があり、熱心にクラブを振っておられる姿を見て、高橋先生らしいなあ、と感嘆したのを覚えています。

 

 お酒をご一緒したときには、昔はねえ・・・と恩田研時代の話、終バスに急ぐ途中で針金に躓かれて大変だったこと、ソフトボールで学生に打たれたこと、打ち取ったこと(先生はほぼピッチャーでした)など、何度も聞かせていただきました。

 

 先生は名大を定年で退職された後に椙山女学園大学に移られ、家政学の分野で衣服の研究を始められました。化学工学という刀で衣服の世界に切り込む、という勢いで研究を精力的に行われました。衣服での熱と物質の移動速度論を展開され、その成果は日本家政学会誌に11件の論文として掲載されており「二井君、論文を書かなきゃダメだよ。」との激励のお言葉は私の胸に刻まれています。先生の成果は2016年の「化学工学」誌の連載記事「衣服の保温性を化学工学する」としてまとめられています。

 

 高橋先生が学生たちに教えられたのは、化学工学の知識だけでなく本質を、情熱を持って追求することの喜びだと思います。最後に先生の言葉をもう一つ紹介します。「幸せというのは、目標に向かって努力することなんだ。目標に到達することよりも、目標に向かえることが大事なんだよ。」この言葉は私に、目標に向かう勇気を与えてくれています。先生どうか安らかに、上の彼方から我々を暖かく見守ってください。