分子化学工学教室を去るにあたり    松田 仁樹

平成283月をもちまして母校、名古屋大学を停年退職いたしました。小生は大学紛争真っただ中の昭和44年に名古屋大学に入学いたしました。入学早々、約半年にわたる教養部の封鎖期間を経て、2年後に化学工学科に進学、4年次は第3講座(伝熱および燃焼工学講座)に配属されました。入学当時は比較的好景気のため化学工学には順風が吹き、化学工学教室の先生方も意気軒昂で折につけては私たちに化学工学の魅力、優位性を熱っぽく語られました。その一方、化学工学科に入学したにもかかわらず、「化学工学とは?」と自問してもまともに答えられず、それが何となく分かるようになったのは随分経ってからでした。

 

研究室では修士課程、博士課程まで進学し、昭和53年に博士課程修了と同時に化学工学教室第4講座(反応工学講座)に助手で採用していただきました。その後、大学院重点化によって創設されたエネルギー理工学専攻、平成9年に新設された難処理人工物研究センターに配置換えになりました。平成16年からは最終的にE7講座(旧化学工学科第3講座)に戻りました。これらの期間を合わせると、学生時代から起算して47年もの間、一貫して分子化学工学教室(化学工学教室)でお世話になりました。当時の研究活動は伝熱工学と反応工学を融合させた化学熱貯蔵、化学熱輸送をはじめとして、廃棄物の低環境負荷処理、再資源化-安定化処理などの“応用問題”に取り組みました。このような多岐にわたる問題を研究・教育の一環として研究テーマに取り上げるためには、研究アプローチ、学生の研究指導、研究予算が懸案事項となりました。研究アプローチは学生時代および職員時代に習得した化学工学の大局的なものの捉え方、ならびに問題提起-問題解決の方法論が大きな指針になりました。二つ目の懸案事項は幸いにも研究室の教員の皆さんと優秀な学生諸氏の献身的な協力のもとで進めることができ、杞憂に終わりました。一方、研究予算は年々歳々減額される運営費交付金の不足を埋合わせるため、科研費はじめ外部資金の確保はいつも大きな難題でした。

 

昭和から平成になると化学工学は全国的に縮小に向かい、化学工学会の会員数は年々減少していきました。その対策として化学工学会では特別研究会が部会制に変わり、異分野との接点を増やすことで化学工学のすそ野を広げる方策がとられました。また分子化学工学教室では健友会のご理解ご協力のもとPR委員会を中心に、学生諸氏へのきめ細やかなケアが行われています。これらの取り組みは化学工学の魅力、可能性を内外にアピールするのに貢献していると思われます。その一方で、化学工学が依然として低迷状況(?)から脱却できないでいるのは、何かほかに根本的な原因があるからなのでしょうか?化学工学の縮小傾向は我が国だけにとどまらず、小生が約30年も前に在仏研究を行ったINPL (Institut National Polytechinique de Lorraine) の化学工学研究所 (Laboratoire du Génie Chimique) は約45年前にLaboratoire Réactions et Génie des Procédés(反応・プロセス工学研究所)という全く新しい研究所に再グループ化されて、残念ながら「化学工学」の名称は消えてしまいました。

 

折しも、この4月から名古屋大学では工学部改組が実施されますが、これに連動して分子化学工学教室でも種々の改革が進められているものと思います。本来、化学工学は「モノづくり」を根幹から支える実践学であり、あらゆる産業にとって必要不可欠な学問分野の一つです。その一方で、分子化学工学教室には時代の変化にともなう社会や産業構造の動向を見据えた新たな視点からの研究・教育のあり方が問われていると思われます。このようなときこそ、化学工学の本質と理念をいま一度見つめなおす良い機会と捉え、教室の皆様にはこれからの時代に適応できる「新生化学工学」への発展・展開につなげていただければと願うものです。

 

最後に、これまで大変お世話になりました恩師の先生方、分子化学工学教室の皆様、先輩・後輩諸氏、ならびに健友会各位には謹んで御礼申し上げる次第です。まことに有難うございました。