化学工学に対する誤解は化学工学で解く    小野木 克明

 

 

 昭和44年名古屋大学工学部化学工学科に入学した私は、修士・博士課程を経た後、昭和53年名古屋大学工学部助手に採用されました。そして、その2年半後、開学間もない豊橋技術科学大学に異動しました。名古屋大学で過ごしたこの期間は、私にとってかけがえのないものとなりました。もともと化学が嫌いだった私は、研究室配属にあたり、化学から最も遠くて数理ができるプロセスシステム工学講座を迷うことなく選びました。一方、豊橋技術科学大学時代に所属していた生産システム工学系は、材料、機械およびシステム分野から構成された、当時ではまだ珍しかった既存分野を超えた融合学科でした。そこでの経験もその後の私にとって、大きな糧となりました。その後、平成84月に古巣の名古屋大学のプロセスシステム工学講座に戻り、平成283月に定年退職を迎えました。そして、4月から愛知工業大学情報科学部に場所を移し、目下新しい学生たちと新しい研究室の立ち上げを楽しんでいます。この40数年間、数多くの皆様に支えられてきました。ものごとを知ることの面白さを教えていただいた恩師の松原正一先生と西村義之先生、適度な距離を保ちながら応援していただいた先輩の方々、困ったときそっと手を差し伸べてくれた同僚たち、世代を超えて和ませてくれた卒業生・学生諸君、それにさまざまな機会を通じてお会いした同窓生の方々。今、こうしてすがすがしい気持ちでペンを走らせることができるのも、皆様との素晴らしい出会いがあったからであります。

 

 化学嫌いの私でしたが、年を重ねるに従って化学工学の面白さ・醍醐味が徐々に分かってきました。この思いは、化学工学と距離を置いた所に在籍していたときほど強いものでした。対象をミクロにもマクロにもとらえることができる、そのときの状況に合った視点で対象と係ることができる、この対象との柔軟な接し方は私がこれまで関係してきた機械や電気、情報分野などでは決してなかったものでした。総括〇〇係数という発想のなんと大胆でおおらかなこと。化学工学に携わってきた先人たちの知恵と勇気、それに思い切りの良さには感服します。社会全体が多様化し複雑化していくなかで、対象と柔軟に接することができる化学工学的な発想が、今いたる所で求められています。

 

このように本来ならば順風満帆であったはずの化学工学でしたが、第4期科学技術基本計画の検討が始まった平成20年頃から前途に暗雲が漂い始めました。絶滅危惧分野の誤った解釈もこれに拍車をかけました。絶滅危惧分野という言葉は、もともとは“わが国の産業基盤の脆弱化が懸念されるなかで、早急に研究活動や人材育成を強化しなければ取り返しのつかないことになる基盤分野”という産業界の強い危機感を象徴的に表す言葉でした。化学工学もこの絶滅危惧分野の一つでした。にもかかわらず、社会の関心が専ら新産業の創出に向かうなか、名古屋大学をはじめとする多くの大学は、ここしばらくは新産業に直結する先端分野の拡大と、基盤産業を支える基盤分野の縮小の一途を辿ってきました。これには、化学工学に籍を置いた責任ある大学人の一人として、今でも忸怩たる思いがあります。しかし、幸いなことに、たとえ化学工学の大学組織は縮小しても、その精神は、対象との柔軟な接し方を追求する化学工学の精神は、逆に各分野に浸透し始めています。化学工学に対する誤解は化学工学で解く。いたる所で、いたる分野で化学工学の精神が喚起されることが、基盤分野としての化学工学の本望であると信じています。

 

私も、もうしばらく、viewpoint は化学工学で、approach は情報科学で、毎日を楽しもうと考えております。化学は今でも嫌いです。でも、化学工学への想いは今でも募るばかりです。