定年退職して思うこと   香田 忍

 

 昭和43年名古屋大学応用化学科に入学し、1年あまりの社会人生活を経験後、修士、博士課程に進学しました。その後、名古屋大学工学部化学工学科に勤めることとなり、光陰矢のごとく定年退職することとなりました。化学工学教室の皆様には35年間公私にわたり大変お世話になり心より感謝申しあげます。ありがとうございました。

 

大学入学直後の大学紛争のさなか、大学の講義には出席せず陸上グランドで走ることに熱中し当時の所属は名古屋大学陸上部中長距離科そのものでした。大学での4年間はその後の精神力、体力の強化に大いに役立ったと思います。九死に一生の経験をした企業を退職後大学院に戻り、合成化学科の永沢先生の指導を受けつつ、野村先生のもと、初めて研究の面白さを知りました。この時点で名古屋大学工学部合成化学科の学生であったと気がつきました。当時は、応用化学の学生の身分のまま故宮原豊先生や野村先生の指導を受け工業物理化学講座で研究活動にはいり、博士課程終了後、化学工学教室で世話になり、化学工学の一員となりました。初めの頃は、化学工学の講義をほとんど受講したことがなく、化学工学がどのような学問分野であるか理解できておらず多数の先生方からお叱りを受けつつ「化学工学とは」とのお話を伺ったことが懐かしく思い出されます。化学工学を物理化学の立場から俯瞰する努力をしたこともありましたが、未だに「化学工学とは」の答えは得ていません。

 

 かつて、化学工学科のほとんどの研究室は旧1号館(現在のIB情報館)の北館に集められておりました。私の所属した研究室は4階にあり、工学部共通講座の一つであり、化学系の物理化学実験を前期に週4日、後期週2日担当していました。当然、冷房の設備はなく、夏場には汗を出しながら学生実験室で学生の指導をしていたことが懐かしく思われます。旧1号館の屋上は開放されており、酒を手に夕涼みも可能でした。旧1号館は、老朽化とともに水道管の劣化や水漏れが起こり始め夜中に水道管が壊れたときには、下の階まで水が流れ多大なご迷惑をおかけしたこともあります。

 

全学共通教育、大学院重点化、法人化と甘い誘いにのり進められた大学改革、果たしてその評価は?あまりにも次から次へと進められた改革は、化学工学教室にも大きな波及効果をもたらしました。改革の成否は20年あるいはそれ以上経て現れるものであり、評価、反省なしに進められる短期間の改革には疑問が残ります。私は大学の本来の使命は学理の探求であると信じています、研究は自由な発想で未解明な問題を解明することであると考えます。また、研究成果は社会に還元されるべきとの考え方には反対しないが、あらゆる未解明問題の解決は、何時の日か、新たな物質の創製とともに人の心を豊かにする。それがいつの日になるかは分からないが。昨今、成果主義で事が進んでいくことに懸念を感じています。

 

名古屋大学工学部・工学研究科は組織改革の渦中にあり化学工学教室の将来も見えないまま退職したことは残念でなりません。絶滅危惧学科の一つに数えられている化学工学はどのような方向に進むのか。化学工学教室の皆様の叡智を結集し、新たな化学工学が展開し発展されることを期待いたします。